映画を眺めていた女。主役になろうとする

良い大学に行って、少し都会で働いて、そのうち実家に戻って、良い家の誰かと結婚する。親が私に望んでいたのはきっとそういうことで、私も、それが普通だと思っていました。
だから、私は、いわゆる良い大学を受験して、上京しました。東京に行く意味など、まるで考えもしませんでした。
東京にいる間は、ずっと、映画を見ているようでした。自分とは関係のないところで、めまぐるしく華やかな景色が流れていく。けれど、それはスクリーンの中でだけ展開されていて、私はけして参加できない。
私は、『東京』というタイトルの映画を見ている観客のようでした。
大学の卒業間際に、映画を撮影するクルーの一員として実家のある熊本の近くに戻ることになったんです。映画の現場は、刻一刻と状況が変わり、瞬時に判断を求められ、今やらなきゃいけないことがたくさんあります。
それは、過酷な自然の中に放り込まれることに似ていました。
そして、我ながら、自分に、驚きました。
勉強はしてきた。一生懸命にやっているつもりだった。けれど、その中で、私は何もできなかったんです。
こんな風に何もできない人生は嫌だ。その時、強くそう思いました。
ちゃんと、生きたい。観客席から移り変わるシーンを眺めているだけではなく、起こる物事を体感できる人生を送りたい。
それから、実家の近くでパソコンのクレームや修理を受け付けるオペレーションセンターでアルバイトを始めました。ちゃんとした人生を送るためには、まず経済的な自立が必要だと思ったからです。
電話で仕事の全てが済むオペレーションセンターは、賃金が安くてもいい地方にたくさんあります。熊本の都心部にあるビルの中で、私は働き始めました。
けれど、そこでも、私はいつの間にかに、否応なく話が進んでいく映画を眺めているだけの観客のようになっていました。
「今は不景気だから」
そう言われて、バイトの時間を減らされました。そうすると、もちろん収入が減ります。暮らしていくのもぎりぎりの金額しか貰えないようになりました。
けれど、バイトの時間は雇用主の都合で減らされても、休みは自由に取れません。人が足りない時は有無を言わさず駆り出され、週に一度、定期的な休みを取りたいと言っても叶いませんでした。
オペレーションセンターでは、顧客と電話をしている時間を計測しています。
出勤して、タイムカードを押して、パソコンにログインする。そのログイン時間とクレームの処理の件数の割合で、成績が判断されるんです。
仕事の結果が目に見えるからやりがいがある。最初は、そう考えていました。
けれど、ある日、上司に「もっとログイン時間を長くして」と言われた時に、思ったんです。
この人たちは、私が欲しいんじゃなくて、私のログイン時間が欲しいだけなんじゃないかな。
私が「こうしたい」「こうなりたい」と思うことは、きっと、いらない。
週に一度は決まった休みが欲しい。普通に暮らしていくだけの賃金が欲しい。
私の望みは、それだけでした。
けれど、それすら、私には大それた願いのようでした。
電話を取る時以外は一言も喋りません。会話をするのは、遠く離れた場所にいる電話の相手だけ。
隣にいるスタッフの名前すら知らず、いつの間にか人は入れ替わっていきます。新しく来た誰かも、同じパソコンの前で同じマイクとヘッドフォンを付けて、声色だけを笑顔にして見ず知らずの相手と話しています。その光景は近未来を描いた映画のようでした。
いつでも、すり替え可能なアンドロイドのような人々。
求められているのは感情ではなく、ログイン時間だけ。
またそんな場所に押しやられてしまったのは、きっと私がちゃんとした人生を送っていないからだ。
だから、もっと、頑張らなきゃ。
でも、頑張るって、何を?
映画のフィルムがぶつんと切れたかのように、目の前が見えなくなりました。 illustration そんな時、友人からこの町で求人があるという話を聞いたんです。
過疎化と高齢化が進む田舎町で、雇用を創出するために地域のブランド化をしようとしているところが、人手を探している。もちろん、週休二日。
今まで、家があるから、学校があるから、仕事があるから住む場所を決めていました。
ここに住まなきゃいけないから、住む。そんな風に思っていたんです。
けれど、行ってみたいところ、自分がしたいことが出来るところ、その可能性が感じられるところに、住んでもいい。
目の前にあったスクリーンが二つに割れて、強く真っ白な光に照らされたような気がしました。
この町で働き始めて、まだ数ヶ月。
仕事初めの日、事務所には一緒に働く推進員の他に、町のレポートを書く大学生とワーキングステイという試みで滞在しているメンバーがいました。
ワーキングステイに参加している三組の人々は、どこにいてもインターネット環境さえあればできる仕事を持っていて、田舎町の中にいながらも自分の仕事をしていました。
観客席で映画をただ眺めているだけではなく、自分の人生を生きている人々のように見えました。
こういう風になりたい。
こんな風に、自分の足で立てるようになりたい。
彼らのように生きていきたい、と強く思いました。
まだ仕事にも慣れず、正直に言うとこれからどうなるか自分でもわかりません。
だけど、今、私ははっきり言えます。
家があるから、学校があるから、仕事があるからという理由ではなく、私は、自分のいたい場所を自分で選んだ。
映画を眺める観客ではなく、今度こそ、自分が、自分の人生の主役であるために。

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