東京が疲れる女。故郷を撮る

最近、一ヶ月に一度は地方に行かないと気分が悪い。地元なのにそんなことを言うようになるなんて、と自分でも思うけれど、何だか、今は東京が疲れる。生まれ育った町なのに。
東京と一括りに言っても、いろんな場所がある。渋谷、新宿、六本木の繁華街だけではなく、山手の上品な住宅地や多摩地区の新興住宅地から、私が住む江戸時代から住民の多い下町まで様々だ。
下町は、昔ながらの義理人情の町で、私が幼い頃は、町中の誰もが顔見知りで、近所の全員が親戚のようだった。
コンビニすらなくて、けれど町を歩いていれば知っている誰かがお菓子をくれる。遊び相手には困らなくて、日が暮れるまで外にいても心配されるようなことなどない。
新しいマンションが立ち並び始めたのは、私が大人になってからだ。
コンクリート打ちっぱなしの美術館や高層マンションで、昔ながらの平屋の家は圧迫されているように見えた。海上バスと屋形船が行き交う川辺にも、ひしめき合うように新しい建物が立ち、川すらも肩身が狭そうだ。
写真家の私は、よく街の風景を撮り、保存している。
昔からある景観を上書きするように増えていく新しい建物と住人が、写真に写る度、違和感を覚えた。
地元が、故郷ではなくなっていくような気がした。
『福岡最東端の町で、町のために情報発信のスキルを提供し、自分の仕事をしながら一ヶ月間、働きながら住むワーキングステイをしてみませんか?』
ある日、インターネット上で話題になっていた募集記事を見つけた。
近頃、東京ばかりにいて息苦しいし、仕事をしながら住むことができるならいいかもしれない。東京で一緒に仕事をしているウェブマガジンのメンバーも「皆で行こう」と盛り上がっている。
応募動機は、そんな程度のものでしかなかった。
福岡県の最東端。
そんなことを言われたって、どこにあるのか想像すらつかない。
じょうもう町? うえげ町? 
読み方すら、わからない。
何も知らないまま、この町に来た。
来た瞬間に、懐かしい、と思った。誰もが顔見知りで、すれ違えば立ち話が始まる町。
そして、私が幼い頃の地元のように、空が広くて川が流れるこの町。
訪ねてきてはお菓子をくれる人がいた。毎日のように野菜をくれる人がいた。幼い頃、道端で友達と会って石蹴りをするように、同じワーキングステイという企画で来た人々や、町のブランド化を進める推進員、この企画の担当者の役場の人間まで、その日に会った誰かとくだらない話をしては笑い転げた。
家から徒歩五分。山道を少し登ると椎茸を収穫できる場所がある。ネギやレタスがなる畑もある。庭の柿の木はいつでももぎ放題だ。 illustration 朝食の前、私は椎茸やネギやレタスをもぐ。
「ただいま」と引き戸を開けると、ことこと鳴る鍋の音、野菜を刻むまな板の音がする。幼い頃、母が台所に立っている時に聞いた音と同じだ。
広い空と、流れる川。毎日のように道端で会う友達と、台所からもれ出る湯気と食事の香り。
私の地元は東京だ。けれど、ここにも故郷と同じものがある。
カメラを構えて、つやつや光る白いご飯と採れたての野菜でできた料理が並ぶ食卓を撮った。
「食べ物の写真ばっかり撮り過ぎじゃない? 嬉しいけど」
料理を作った一緒に東京から来たメンバーの一人が、そう言って笑う。
私はその写真を『ママのご飯』とフォルダにタイトルをつけて保存した。
故郷はひとつじゃなくてもいい。会いたい人がいる町に行けばいい。
そうしたら、胸の中のアルバムに写る風景が増えていく。
湯気がもれ出る家がある、会いたい人がいる町を、故郷と呼んで増やしていけばいい。

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