犬が買いたい女子大生。大人になる

別に、仕事はなんでもいいんです。
それこそ、東京勤務じゃなくてもいいですし、これといってやりたいこともない。大企業に入りたいわけでもないですし、同級生みたいに大きなお金を動かしたい、とか、海外に出たいとか、華やかな仕事をしたいとかもない。
夢、ですか?
特に何も。
強いて言えば、犬を飼いたいな。自然がいっぱいある広々としたところで。
なんてことをエントリーシートに書けるわけがないし、面接でも言えるわけがない。それどころか、就活に悩む同級生にも言えないし、一生懸命働いているOBやOGになんて口が裂けても言っちゃだめ。それこそ、「お前、大人になれよ」って言われるに決まってる。だから、言わない。
そう思いながら就活をして、そりゃあ、もちろんうまくいく訳もない。
もう少しちゃんとした人間になりたい、とは思っていたけど、「大人になれよ」なんて言葉は好きじゃない。
だから、就活がうまくいかないことに心のどこかでほっとしていて、そんな自分に何だかなぁ、と思っていた。
そうしていたら、この町の募集記事を見つけた。
『町に先入観を持たない大学生が一ヶ月間、町で暮らして調査活動を行い、町の魅力や課題の発掘、提案を盛り込んだレポートを提出する』
きっと、すごい田舎だ。犬どころか、鹿やイノシシもいるかもしれない。
「大学四年の秋だよ?」
「就職も決まってないのに?」
「ていうか、名前も聞いたこともない町なんだけど」
口々に言われる言葉を振り切るために、「でも、行ってみたい」なんて無邪気で馬鹿な子どものふりをして、私はこの町に来た。 挿絵 一ヶ月、町の人たちの家にお邪魔して暮らす。期間の中頃に六百字の中間レポート、期間終了後に三千字以上のレポートを提出。
この町から、私に与えられた仕事はこれだけで、あとは、何もなかった。
課題や授業、就職や卒業旅行の時期も、今までは全部決められていたのに。
だから、最初は何をどうしていいのか、全くわからなかった。
この町にやって来てすぐに、地域のブランド化を進める推進員として、夏に移住してきた人に聞かれた。
「将来、やりたいことって何?」
田舎で犬を飼いたいなんて言えるわけがない。
だったら、とりあえず、教員免許を取るとか言えば通りがいいよね。「えらいね、先生になるんだ」とか言ってもらえて、それだけで済むし。
そう思いながら、私が、きちんと考えている学生を装った笑顔で答えると、
「それ、何もヴィジョンがないよね」
まさに一刀両断という調子で、柔和な微笑みを一転させ、眼鏡の中の瞳で私を見据えながら、推進員が言った。
その通り、だって、私も本当はピンと来てないもん。でも、せっかく就活を離れてここまで来たのに、そんなこと言わないでよ。
そう思ったら、ちょっと泣きそうになった。
どうやったら、ちゃんとした夢を持てるのかな。
ちゃんとした夢を、持たなきゃいけないのかな。
結局、東京にいる時と同じことを考えていた。
博多とこの町を行き来して暮らしているウェブディレクターは、「若いうちはそんな時もあるよ」と慰めてくれたけれど、どうにも心が晴れない。
役場のいつも忙しそうにあちこちと交渉をしている人は、「とりあえず町の人と会ってみたら」と言う。
だから、私はいつも、町の人々のお手伝いをしていた。
水道管が壊れた家にパイプを持って駆けつけ、切り出し場からもらった余った木材で椅子を作った。畑の作物を荒らす鹿を猟師が撃ち、さばくところを見学した。お年寄りが自分で育てたと言って、くれた山芋でチヂミを作った。ほうれん草や落花生を収穫し、大根を抜いた。
いい企業に入る、忙しく働く、皆が褒めてくれるような夢を持つ。
それが、大人になることだと思っていた。そうしなくちゃ、いけないような気がしていた。
だけど、もしかしたら、こうやって、生活の全てをちゃんとできるってことも、大人になることなのかもしれない。
ぶれて揺れていた未来の自分が、初めて定まったような気がした。
広々とした自然があるところで犬を飼いたい。
でも、企業に就職したら、そんな事ができるわけがない。
ずっと、そう思っていた。
けれど、広々とした自然があるところで犬を飼う夢と、大人になりたいという夢は、両立できる。
私がこの町に滞在している時、次の春にこの町に移住を考えている推進員の友人だという女性が、下調べがてら町に遊びに来た。
「将来は何になりたいの?」
推進員と同じことを聞かれて、私は恐る恐る口を開いた。
「あの、馬鹿みたいな夢なんですけど、私、将来、田舎で犬を飼いたいんです」
また、「ヴィジョンがないよね」とか言われるかも。
でも、私の夢はやっぱり、これだから。
そう思いながらも、びくびくして答えを待っていると、
「え、私もだよ」
そう言って、彼女は「一緒だね」と嬉しそうに笑った。
初めて、本当の夢を話した。馬鹿にされるのが怖くて、ずっと、誰にも言えなかった夢。
だけど、これでいいんだ。
私の夢は田舎で犬を飼うこと。
そして、生活の全てがちゃんとできる大人になること。
どっちかを選ばなきゃいけないなんて、そんな窮屈なことを言わないで。
大人になることは、自分をがんじがらめにすることじゃない。
生意気かもしれないけれど、そう言ってみる。そして、それを現実にする。
大人になる道は、ひとつじゃない。
それが、私がこの町から教えてもらったこと。
この町から教えてもらったことを、私はこれから形にしていく。

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