ド田舎に帰って来た男。「おかえり」と言う

自分が生まれた町のことを改めて考える人間は、どれほどいるのだろうか。
かく言う自分も、人のことなど言えやしない。
例えば、若い頃。大学を卒業して、いわゆる街金に就職した。なんとなく知らない世界が見たいというだけの理由で選んだ仕事なのに、すぐにナンバーワンの成績がとれた。あっけなくて、その瞬間に全てがつまらなくなった。
別に、この仕事に自分じゃなきゃ、なんていうものはひとつもない。
なのに、何故、自分はここにいるのだろう。
そう思ったら、もう会社にはいられなかった。
「やりたいことが何もないなら、役所にでも就職すれば? 安定してるし、時間もとれる」
ぶらぶらしている時、適当な感じで誰かに言われた。
別にやりたいこともないし、自分の時間がとれるならいいか。
自分も適当に、就職を決めた。
紙の山に埋もれるような書類仕事でもいいし、ひたすら帳簿と金をすり合わせる仕事でもよかった。それでいい筈だ。そこそこに生きていくなら。仕事は仕事と割り切って、うまくやっていくだけのつもりなら。
だけど、そう自分に言い聞かせる度に、足元が頼りなくふわりと浮いているような気がした。
こんな風に暇つぶしをしているように、人生を終わらせるのか。
隙間風が胸の中をかすめて吹き抜けるように、いつも、思った。
挿絵 そんな時に、過疎化と高齢化の進んだ地区の再生事業の話しがきた。町の魅力を再発見し、新たな価値を作り出す仕事だ。
めくるめくように楽しかった。埋もれている町の魅力を見つけ出し形にすることも、自分たちの住みたい町を作ろうと目を輝かせる人々と語り合うことも。一度も、自分が生まれた町のことなど考えなかった。振り向きもせず、目の前にある新しいものに心を奪われていた。
そして、異動の辞令が出て、生まれた町に戻ってきた。
都会に比べて、町が色あせて見えるだろうか。
博多にずっといればよかったと悔やむだろうか。
はじめは心のどこかで恐れていた。けれど、湧き上がったのは全く違う、奮い立つような感情だった。
ここでも、きっとできる。埋もれている町の魅力はここにもある。
それは、きっと、自分も一緒だ。
本当は、たぎるように生きたい。
全力で、自分の全てを賭けてやり切れる何かが欲しい。
他の誰かじゃできない仕事、自分にしかできない仕事がしたい。
今度こそ、とことんやろう。何もしないなんて時間の無駄だ。ここでなら、きっと全力で生きられる。この町には、その力を注ぎ込む価値がある。
都会にいる数年間、生まれた町を一瞬も省みすらしなかった自分に、「おかえり」と言ってくれる人がいた。
「おかえり」と言われると、何故、嬉しいのだろう。
ふと、考える。
それは、「待っていた」と言われることと一緒だから、「居場所がある」ということと一緒だからなのではないだろうか。
違う場所で蓄えてきた力を、今、使おう。そして、自分も誰かに「おかえり」を言える町にしよう。また出会う誰かが戻ってきたいと思う町にしよう。
ド田舎の故郷に戻ったら、面白い仕事はできない?
そんなのは大嘘だ。
ド田舎の故郷をめちゃくちゃ面白い町にする。
「地域のブランド化」はどうだろう。
そう決めたら、わくわくして仕方がないはずだ。
差し上る朝日のように鮮やかに、人々が集まる町の光景がはっきり見えた。
この町を、作ろう。
また来たいと思える町、誰かに「おかえり」を言える町へと。

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